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STAP細胞の懐疑点PART976 [無断転載禁止]©2ch.net

339 :名無しゲノムのクローンさん:2016/04/30(土) 13:44:43.08 ID:guSpuXHp0
5 of 8 (つづき)

このような戦後生まれのエリートとは、自分としてはただ単に「親や教師から見放されたくなかった、周囲のイライラした顔を見るのが怖かった」
という動機だけで努力したようなエリート、完壁に世間の歪みに調子を合わせるように仕込まれたエリートであり、彼らはひしひしと
社会の圧力を感じ取って社会の奴隷のように行動する。すなわち鋳物と鋳型のように、主流社会の心の歪み(または劣等感)に自分を整合させるのである。
しかもその調整が完壁でないと世間はすぐにイライラし始めるので、元々優秀で努力家である彼らは“凡庸者”的に振舞えるように、すなわち自らを
凡庸者に似せるように、自ずと積極的に努力するようになるのであり、こうしてエリートは主流社会の非常識にも寸分違わずに完全に調子を合わせていく。

とりわけ1990年代以降の日本では、こうした自らの能力/適性/純粋な関心/努力した経験などの個性にまつわる存在拘束性から帰納された人生・価値観に
立脚できるだけの主体性を持ち得ず、風に舞う木の葉の如く世俗のエートスのままに流されるエリート、すなわち没個性・没主体性化したエリートが
大量生産されるというエリートの凡庸者化傾向は動かし難いものとなった。例えば「ホリエモン」こと堀江貴文のようなキャラの登場、早稲田大学を
舞台にした「スーパーフリー事件」などはこうした傾向を端的に表しているし、求人広告等においても、一時は「学歴・能力不問。ヤル気ある若者求む」
などといった、過度に凡庸者に調子を合わせたようなものしかなくなるという有様であった。

しかし結局は、彼らはもともとが“秀才”なのであり、“凡庸”になど成り切れるわけはなく、それに気づいた時には誇れるものは学歴や社会的地位
だけしかなく、帰納的思考に基づく個性的人生観/強い希望/自然な喜怒哀楽などはとうの昔に失っているから、自分の能力を開花させたり
充実した人生を生きるといったことは最早、諦めるしかないのである。だからそんな彼らは仕事がない休日は驚くほどのオタク風の趣味
(例えば列車などの乗り物/植物採集/模型製作とか)に埋没していたりするのである。
(つづく)

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