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STAP細胞の懐疑点PART976 [無断転載禁止]©2ch.net

350 :名無しゲノムのクローンさん:2016/05/04(水) 12:24:46.02 ID:LXy1ccPA0
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「自然科学的判然性を持つ社会科学」

前回の続きだよ。ここでは「社会科学の論理が自然科学的判然性を持つためには、どういう属性を備えている必要があるのか?」について論じるよ。

E.J.ノックというアメリカの保守主義者は、福祉国家型民主社会への転換をもたらした1930年代の一連のニューディール政策を、
「1932年のクーデターは音もなくやってきた」と評し、ルーズベルト革命は“無血クーデター”であるとしたらしいが(中岡 望「アメリカ保守革命」(2004))、
これなどは「社会科学における自然科学的判然性」ということを考えるには、格好の素材ではないだろうか?
すなわちルーズベルトは極めて大胆な歴史的政策変更を大統領就任初日から次々に繰り出して、政権一期目にしてGDPを40%回復させ、
正に転覆して海中に没しかけていた”アメリカ丸”を(経済的破綻から)救ったのであり、そのような意味で”革命的”であるという点では
誰も異論を差し挟む余地がない。その上で、「もしこのニューディールというものを”クーデター”呼ばわりするという認識に自然科学的判然性を
持たせようとするならば、どうすれば良いのだろうか?」と考えてみてほしい。

言うまでもなくこうした「認識」について考察するという「認識論」自体が社会科学の内でも最も自然科学的なテーマであろう。
例えばカント/西田幾多郎などが取り扱ったような人の行為としての認識にまつわる根本問題は、現在では「認知心理学」が扱うべきテーマとして、
自然科学的(実験科学的)なメソッドを得ることで、尚も探究され続けている。
しかしながらこのような従来的な認識論を用いて考察をいくら為してみたところで、
ここで提起されているような問題を解くための、何かしら有意なヒントが出てくるわけではない。
すなわちオレが「社会・歴史人類学」の範疇において“自然科学的判然性”を備えさせようとして留意している事柄とは、
「主観か、客観か、はたまた(西田哲学的)純粋経験か」などという問題ではないし、さりとて実験科学的か否かなどという問題でもさらさらない。
実は社会科学的学究を始めとした「(人間生活に関わり合いがあるものとしての)社会的事象の認識」における最大の問題とは、
(つづく)

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