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八神純子さん Part2 [転載禁止](c)2ch.net [転載禁止]©2ch.net

1 :昔の名無しで出ています:2015/05/13(水) 23:08:13.64 ID:ardMlBAL
活動再開した純子さんについて、まったり語りましょう。
荒らしは完全放置でお願いします。


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29 :昔の名無しで出ています:2015/05/15(金) 22:49:02.06 ID:???
新進の作曲家・小田裕一郎は、サーカスに提供した「アメリカン・フィーリング」で注目を浴びていた。
小田は、聖子のデビュー曲「裸足の季節」から「青い珊瑚礁」「風は秋色」のシングル3部作を手がけ、
アルバムも3作続けてプロデュースしている。
聖子が他のアイドルを一線を画す理由に「アルバムの完成度」が挙げられる。
ボツになった曲を集めたものがLPという慣例に逆らい、
組曲のように明確なテーマを持ったアルバム作りに終始した。
小田はボーカルレッスンをつけながら、聖子に合う曲を模索する。
「高音部が豊かな声量できちんと出るのはもちろん、低音部の発声も素晴らしかった。
低いパートって、ともすれば宝塚歌劇のような仰々しい歌い方になったりするけど、
彼女はハスキーで魅力的な声が出た」
そして「聖子節」の完成に取りかかる
「バイオリンにおける「スラー」という演奏スタイルがあって、
いくつかの音符をくくり、音と音を滑らかに繋げる、そんな歌い方をやらせてみた。
一つ一つの音に対し、両側から滑らせながら歌うという感覚」
桑田佳祐や矢沢永吉が「フェイク唱法」と呼ばれたが、
聖子の場合、歌詞がクリアに聞こえて、尚且つ洋学的になったのである。
小田は、2曲目の「青い珊瑚礁」で仕掛けを施す。
通常、Aメロ→Bメロ→サビと展開
する流れを無視し、冒頭にサビを置いたのだ。
あの「あ〜、私の恋は〜」の印象的なフレーズがそれだ。
ピンクレディーの「ペッパー警部」のようにデュエットでは存在しても、
ソロのアイドルで高音のサビ始まりは異例のことだった。
「さすがに彼女も最初は嫌がっていたね。
いきなり高音で始まるのは新人歌手としは不安もあっただろう。
でも、それができるのは松田聖子しかいないんだから」
冒険だった「青い珊瑚礁」は、デビュー曲の倍以上の60万枚を売り上げた。

30 :昔の名無しで出ています:2015/05/15(金) 22:50:09.32 ID:???
80年8月14日、TBSの人気番組「ザ・ベストテン」で、聖子の「青い珊瑚礁」が待望のランクインを果たす。
デビュー曲「裸足の季節」は注目曲を紹介する「スポットライト」には登場したが10位以内には届いていなかった。
実は聖子の登場まで、久米宏を筆頭とした「ザ・ベストテン」のクルーは、
山口百恵に認められたくて精力を傾けていたという。
「今夜の演出は素敵でしたわ」「来週はどうなるか楽しみです」
そんな”女神”の座も、百恵の引退に合わせて聖子に禅譲される。
放送が終わるとサブ(副調整室)を必ず訪れ、きちんとお礼を述べてから帰途につく。
1人、また1人と聖子の演出を希望するスタッフが増えていったという。
のちに「クリスマス・イヴ」や「ホームワーク」など、TBSの名作ドラマをいつくもプロデュースする遠藤環は、
当時、若手ディレクターとして「ザ・ベストテン」に関わっていた。
初登場から5週後、遠藤は「青い珊瑚礁」が初めて1位になった9月18日の担当ディレクターだった。
感動の場面を、最高に盛り上げるのは、どう演出すればいいか
・・・遠藤は、やはりデビューまでを支えた母親の存在だろうと思った。
「番組の女性デスクに福岡まで飛んでもらい、お母さんの手作りのお弁当を受け取り、そのまま東京に戻る。
中身よりも、聖子が小さい頃から親しんだお弁当箱こそ大事だった」
黒柳徹子から弁当箱を見せられた瞬間、聖子は瞳をうるませ、あまりにも有名な「お母さ〜ん!」の絶叫へとつながる。
作り手たちの意図に、これ以上ない反応を見せてくれた。
遠藤は中継後、聖子をタクシーで駅まで送っていったことがある。
真冬の寒さにも関わらず、聖子は運転手にこう告げた。
「喉に悪いので暖房を切ってください」
そんなプロ意識の高さは、聖子に次々と「伝説の扉」を開かせることになる

31 :昔の名無しで出ています:2015/05/15(金) 22:50:53.70 ID:???
作曲家の平尾昌晃が初めて聖子と会ったのは79年のことだった。
聖子、いや本名の「蒲池法子」は久留米市から歌手になるため
平尾が主催する音楽学院の福岡校に通っていた。
平尾は当時、福岡にライブハウスを開いた関係で、月に一度はレッスンを見る機会があった。
そこに誰よりも早く来て、誰よりも遅くまでレッスンを受けていたのが聖子だったという
「僕の好きな西田佐知子やちあきなおみにも似た、ビロードがかかった声の艶があった。
当時の発声は荒っぽいけど、中高音の伸びは圧倒的だったね」
とにかく、人懐っこい性格と、歌手になる夢を父親に認めさせる固い意志が印象的だった。
そんな79年当時、街にはインベーダーゲームの嵐が吹き荒れていた。
夢中になっていた平尾は、レッスンが終わると聖子らを引き連れて近くのゲームセンターに駆け込む。
対戦する聖子は、やはりリズム感の賜物か、平尾が舌を巻くほどの上手だった。
そんなゲームの最中も、視線をそらさずに聖子は言う。
「先生、私は歌手になって必ず成功するから!」
歌手を「夢見る」子は多いが、自分が成功している姿を「イメージ」出てきている子は珍しい。
平尾は、間違いなくこの子はプロになれるだろうと思った。
そのため、時間の無駄遣いなど一切せず、目標へ一直線に向かう姿勢が好ましかった。
「レッスンではいろんなタイプの曲を歌わせてみた。
特に印象深いのは『ボーイハント』などのオールディーズね。
ものまねではなく、自分の曲として消化できている。
次々と課題曲を与えると、一度も拒否することなく、貪欲にこなしていましたね」

32 :昔の名無しで出ています:2015/05/15(金) 22:52:20.21 ID:???
松村和子は80年4月「帰ってこいよ」でデビューする。
聖子とは生年月日で13日違いであり、「黄金の80年組」として新人賞を争う。
松村は、30年前の日々を思い返す
「同期の皆が良かったから相乗効果で頑張れたなって思いますね。
当時は親衛隊の声援の声援もすごくて『聖子〜!』『良美〜!てなるのに、
私のときは『・・・』だったからちょっと寂しい思いも味わいましたけど」
楽屋で見る聖子はイメージと違ってキャピキャピした部分がまったくなかった。
自分を客観視できる人だと思った。
そして大晦日の天王山、「日本レコード大賞」で雌雄を決する。
順に5人が持ち歌を披露するが、岩崎は聖子の受賞曲「青い珊瑚礁」を後ろで聞きながら、
この声の伸びは聖子にしか出せないと改めて思った。
「第22回日本レコード大賞、最優秀新人賞は『ハッとして!Good』を歌った田原俊彦!」
その瞬間、誰よりも喜んでいたのが聖子だったと岩崎の目には映った。
ただし、田原を残して4人が舞台袖に引っ込む間際、松村は「もうひとつの表情」を見た。
「今にも泣き出しそうなくらい、聖子ちゃんが悔しそうにしているのを見ましたね。
あの顔は今でも忘れられない」
そして松村も岩崎も今年、同時に30周年を迎える。
松村は聖子を「子供を産んでもアイドルを続けられる先駆者」と言い、
岩崎は「ずっと皆をドキドキさせる松田聖子というブランド」と評する

33 :昔の名無しで出ています:2015/05/15(金) 22:53:11.50 ID:???
80年のデビュー曲「裸足の季節」や「風は秋色」、
またアルバムを含め13曲をアレンジしたのが編曲家・信田かずおである。
信田は聖子と初めて会った日のことを思い出す
「デビュー曲のオケを作っているスタジオに、学生カバンを下げてやって来たんですよ。
まだ歌入れでもないのに、スタジオに来る歌手って珍しいなと思った」
しかし、いざ歌わせてみるとそんな素朴さが一変する。
信田は車の排気量にたとえ「5000ccクラスの歌声」と評価した。
「無理したりガナったりせず、自然な歌い方で心地よい音色が出せる。
歌のキャパシティがとてつもなく広いんだと思った」
それならばーーーそれを生かすアレンジをと信田は思った。
信田は初アルバムの1曲目「〜南太平洋〜サンバの香り」を筆頭に、
アレンジには絶大な自信をうかがわせる。
「作曲の小田さんが従来の歌謡曲と違って欧米系の作りをしていた。
なので、僕のアレンジもTOTOとかボズ・スキャッグスなど、
当時の最先端の洋楽をイメージしています」
信田は「ヤマハ合歓音楽院研究室」でアレンジの勉強を重ねるが、
ここから船山基紀、萩田光雄、大村雅朗ら、当時のチャートを度巻する編曲家を輩出している。
「とにかくカッコいい音作りがやりたかった。
日本の歌に洋楽のテイストをガンガンと乗せていったし、
彼女のボーカリストとしての容量がさらに冒険させてくれた」
デビュー曲「裸足の季節」はCMに使われ、30万枚を売り上げる。
そして信田にも桜田淳子やサーカスなど、アレンジの仕事が激増したという。
やがて、あの日の「学生カバンの少女」は瞬時にアイドルを飛び越え、
アーティストの域になっていったと信田の目には映った。

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